概要

概要

本校は明治43年7月31日に豊明尋常小学校として現在地に設立されました。当時地域の人達は本校舎を南部小学校と仮称していました。そのため、校章は「南豊」の文字がデザインされたものとなっています。
 昭和40年前後から豊明市南部丘陵地に続々と住宅が建設され、人口が急増し、児童数も1500名となり教室不足に悩んでいました。そこで、昭和45年9月に分校として西部小学校を開校し、1年生から3年生までが通学することになりました。その後、昭和46年4月には新設栄小学校として分離発足しました。そのため児童数は680名となりました。
 通学区域には、まだ、多くの自然や田畑が残っていて、子どもたちは素朴で温厚な面を持っています。
 正門は、旧東海道に面しており、すぐ近くには国指定史跡の「阿野 の一里塚」があります。
 また、地域には「大脇の梯子獅子」の伝統行事が引き継がれていて、児童の家庭のおよそ3割は祖父母同居の世帯です。
  本校は、交通のかなめに位置し、学校の横を名鉄名古屋本線が通り、通学区域にある前後駅は、豊明市の表玄関として利用者も多くあります。さらに、学校の南方を国道23号線と、第2東名高速道路が通り、豊明インター へは1㎞程の距離です。また、学校の北方を国道1号線が走って います。

「校舎のすぐ北側にある、東海道の松」

 この松は、徳川家康が東海道を開いて植えた松並木の一本で、市内では数少ない名残の松です。前の道路は旧東海道、松の後ろ側に校舎があります