今日は朝から出張のため、先週金曜日の大雨について思うことをあれこれ書きます。
今から23年前の9月(2000年)東海地区を中心に集中豪雨があり大きな被害がありました。東海豪雨といわれるものです。私が沓掛中に転勤して2年目のことでした。
9月11日夕刻、校長より大雨の被害が予想されるため、管理職以外は速やかに帰宅するように連絡が入る。次の日の朝、学校内の安全確認に行こうと早めに通勤を試みる。早朝6時になる前に家を出る。天白川付近で車が動かなかったので、Uターンで引き返す。名鉄電車で行こうとしたら、全線運休。しかたなく自転車で学校へ向かう。途中鳴海付近で自衛隊の車両があり、その横を膝まで水を浸かりながら自転車を漕いで学校へ向かう。豊明のマックで朝マックをしたのが、7時50分ぐらい。学校に遅刻の連絡を入れるが連絡が付かない。???あわって学校へ向かう。(前日のニュースで通勤経路である伝治山近くの崖が崩落し、その下敷きになって亡くなった人がいると伝えていたが、実は私はその30分前にその場所を通過していた)
【学校に着いての事実】
・校門の前は水浸し、学校が水没していた
・来賓玄関前に車の屋根だけが見えた(当時の校長先生・教務主任の先生の車2台水没)前日から緊急警備のため泊まり込みをしていた。
・水没したため電話回線遮断
・教室の1階ロッカー3つ目まで水没
・体育館、和敬館水没
・運動場は池状態
【今だから言える笑い話】
・当時校務主任を務めていた某S先生と運動場をボートに乗って、安全確認をする
・次の日全校生徒で大掃除のみする。市内の先生達もお手伝いにきてくれた。感謝。
・ハエ取り紙を教室にぶら下げておくと、1日でハエ取り紙にハエが一杯に。これが1週間以上も続いた。市内の薬局にあるハエ取り紙は売り切れ状態になる。
・プールの周りはカエルがわんさか出現。魚の死骸もあちらこちらに。
・1ヶ月ほど経つと体育館の床が膨れあがり、使用禁止に。(水没後、床材が膨張した為)
【6月2日を振り返る】
・午後の12時~16時に雨が強く降るという予想から雨が少し弱まった夕刻に下校させた方が安全と判断し、通常通りの授業実施。部活動は1時間早い下校とする。
・予想以上に雨が降り、13時過ぎ市教育委員会より「3時間後境川が氾濫するおそれがあるため早く下校させるように」と指示
・下校の準備が出来たクラスから13時30過ぎ下校、お迎え生徒は14時から
・お迎え対応教員以外、校区内を分散し安全確認をする。
・最終的に最後のお迎えが完了した時刻は16時(氾濫予定時刻)、その後職員に帰宅要請。
【もしも、境川が氾濫していたら】
・一部のお迎えを待っていた生徒は、学校に取り残される。
・全職員も学校に取り残され、車は水没。
・タイミングが悪かった場合、氾濫に巻き込まれ命の危険がある。
【今後お願い】
・市内で沓掛中学校のみ、水害時の避難所に指定されていません。東海豪雨の件があったからです。今後大雨が予想された場合は、早めの下校をする事が想定されます。氾濫警戒がレベル3(高齢者等避難)になったときには、緊急下校をする可能性が高くなるので、特にお迎えの生徒の保護者は用意をしておいて下さい。レベル3でさらに大雨が予想される場合は下校させる可能性は高くなります。レベル4(避難指示)の時には、緊急下校させる予定ですが、下校させることが危険と判断した場合は、学校に留め置きます。その時には、2階より上の階で避難させます。今回は、境川の氾濫まで想定していなかったため、判断が遅れてしまいました。今後は、できるだけ早く判断をしていきたいと考えておりますので、連絡が入りましたらお迎えの生徒の保護者は速やかにお迎えをお願いしたいと思います。ご協力宜しくお願いいたします。
朝一番に学校に登校していた生徒にお願いして今残っている東海豪雨の記録を撮影しました。( H12.9.12 東海豪雨による冠水水位)